最澄(767〜822)は日本天台宗の宗祖で、比叡山延暦寺の開創として
有名な僧侶で、諡号は伝教大師です。
近江坂本の生まれで幼名を三津首広野といいます。
東大寺で受戒のあと入唐し中国天台山で台密・禅などを学び、南都六宗に
対して新しく天台法華宗を開きました。
戒壇院の比叡山建立を上奏してその悲願は死後に実現した。
著書「天台法華宗年分学生式」は比叡山の聖典でもあります。
弟子にも恵まれて義真や円仁など優秀な僧侶を輩出しました。
空海(774〜835)は謚号は弘法大師、灌頂号は遍照金剛の真言宗の開祖です。 讃岐国多度の生まれで、幼名は佐伯真魚といいます。 十五歳で上京し儒学、道教、仏教を学ぶと一沙門から求聞持法を伝授されて 仏道精進を決意します。 最澄とともに入唐、恵果から灌頂を授けられ、インド伝来の密教を持ち帰ります。 高野山に金剛峯寺を創建、東寺を密教の根本道場とするなど、文化史上にも 大きな足跡を残した僧侶でしょう。
道元(1200〜1253)は曹洞宗の祖で、父は内大臣源通親、
母は藤原基房の娘伊子です。
幼くして父母と死別した道元は14歳のとき天台座主公円に就いて剃髪、
受戒します。
二十四歳で入宋すると三年後如浄により嗣書を相承、帰国後建仁寺に入ります。
その後深草に閑居すると34歳のときに観音導利院を建立、
9年後越前吉峰寺に入ると翌年大仏寺を建てて移ります。
そして永平寺を懐奘に譲り上洛、高辻西洞院の覚念の邸で没しました。
日蓮(1222〜1282)は日蓮宗の祖で立正大師です。
安房国長狭郡東条に生まれ、16歳のときに出家しました。
法華経が唯一真正な経典であるとの確信を得て蓮長から日蓮に改名し、
「立正安国論」で国土人民ともに法華経に帰さなければ亡国に及ぶと予言し、
蒙古来襲でその予言は実証されますが佐渡に流罪となってしまいます。
流謫三年で甲斐の身延山に隠棲すると著述と門下の養成に力をいれます。
そして武蔵池上で六人の弟子を定めて没しました。