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空海や道元など有名な僧侶の生涯などについて解説します。

道元

師を求めて

道元 写真

元は比叡山延暦寺で出家した後、名刹といわれる場所を訪ねて修行を重ねます。 自分の師となる僧侶を探す道元でしたが、出会う僧の仏道への意識の低さ、 功名を求める姿勢に失望を繰り返していました。
やがて「宋や印度の高僧こそが自分の捜し求めている本当の師だろう。
日本で大師と呼ばれるような高僧もそれに比べれば土瓦のようなものだ。」 と考えるようになり、入宋できる機会がくるのを待ち望みます。
そして道元が24歳になった春、その機会がやってきました。
日宋貿易の商船に便乗することを許されたのです。 宋に着いた道元はすぐに高僧を捜し求めることはせず、しばらくの間は 船中に留まっていました。 そのとき偶然にも宋の禅宗寺院の五山の一つに入る阿育王山で、寺の食事を 司る典座職の老僧が船にやって来ました。 この僧侶は端午の節句に出す料理の材料とする椎茸を買い求めるため、 はるばる20キロもの道を歩いて来たのです。 道元は老僧に、「お会いできたのも仏道修行の好結縁がと思います。 この船に留まっていただき語り明かしていただけないものでしょうか。」 と申し出ますが、老僧は「いえいえ、椎茸を買ったらすぐに戻らねばなりません」 と道元の申し出は断られてしまいます。



老僧との出会い

留まって話を聞くことは断られてしまいましたが、道元はこのような老僧が 20キロもの道を歩いて椎茸を買いに来たことが不思議でした。 阿育王山ほどの名刹なら典座は幾人もいるだろうに、なぜそこまでして 職務を果たそうとするのかが理解できなかったのです。 そこで 「貴僧は相当お年を召しておられるようですが、静かに座禅をして書物などを 見て修行に励まれたらよいでしょうに。わずらわしい典座職などにもっぱら 勤めておられるのは何かよい功徳でもあるのでしょうか?」 と訊ねました。 「若い人よ、あなたはまだ修行の道中、弁道がどのようなものか、 また文字とは何のためにあるのか知得しておられないかも知れません。」 「文字とは何ですか、弁道とはどういうことでしょうか?」 それを聞くと老僧は静かな口調で、 「まだ了得していないのならいつの日か阿育王山に来なさい。禅の真髄を 理解することができるかも知れません。」 と言い残し、夕闇のなかを急ぎ足で去っていったのです。 この時の出会いはこれで終わりますが、のちに道元が天童山で修行に入って 間もない頃、老僧は若い異国の修行僧のことが印象に残っていたのでしょうか、 わざわざ会いに来てくれました。



日常の生活が修行

その再会で道元は前回の疑問を繰り返しました。 すると老僧は、 「文字というのは端的に言えば記号のようなもので、他に子細はないものです。 目の前に存在している全てが弁道の対象なのです。」 と答えました。
それまで経典や語録を読みあさり、文字を通して悟りを求め続けてきた道元に とっては眼の覚める言葉だったのでしょう。 道元はこの老典座こそが正法に開眼するきっかけを与えてくれた大恩人、 と生涯忘れることがなかったそうです。 高僧といわれる人からだけでなく、老典座のように清貧の中で苦労をいとわず 修行に打ち込む僧侶からも学ぶことが多かった道元は、日常の生活を 修行と捉えるようになります。 文字からではなく座禅を中心にした修行を中心に据えた道元の考え方は、 これらの体験から生まれました。 また仏法上の正師天童山住持の如浄との出会いも、道元の生き方に影響を与えます。 峻厳な教えで知られる如浄は道元を法嗣と認めると、 「国王や大臣近づかず深山幽谷に居て、一人でもいいから弟子を育てて 我が宗を断絶させないで欲しい。」 と頼みました。 帰国した道元は如浄の言葉通り、都を離れた雪国に永平寺を建てると弟子の 育成にあたりました。



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